先日「でばらい」があった。村の皆が集まって、区で所有する共有財産の山林などの手入れをするのだ。林に分け入りカマをふるって下草ややぶを刈る。ひと休みして周りを見回していると、周り中いろんな植物にかこまれているのだが、その名前がほとんどわからないということに気がついた。百姓という職業がら、畑にある野菜はだいたいわかる(あたりまえか)。畑や田んぼの草、いわゆる雑草もだいぶ名前をおぼえた。しかし、林の中に来るとほとんどわからない。これがサワラだと言われても、ヒノキとどこがちがうのか…。まして、雑木や草、シダなどさっぱりだ。
一般に、年かさの人ほど植物に詳しいように思う。とくに農村で生活してきた人ほど知識が豊富だ。木や草の名前、性質、利用方法などを熟知している。かつて、自然とともに生活してゆく上で必要な知恵だったのだろう。野生のニホンザルは、森の中で百種類以上の植物を食べて生活しているそうだが、そのうち約3割が和漢薬のもととなる植物だそうだ。植物にかんする知識は、どう見てもサルのほうが、私より上のようだ。反省。そんな私でも、百姓を始めて10年、必要にせまられて少しずつ植物が識別できるようになってはきた。ひとつずつ植物の名前をおぼえてゆくと、ほんの少しずつ、なにか生活が変わってゆくような気がするのだ。
写真:味噌蔵
右側は去年の春仕込んだ味噌の樽。左は今年の味噌樽。左手前は今年春仕込んだ醤油の樽。醤油は仕込んでから毎日かき混ぜ、そのあと絞る作業もあり、味噌よりかなり手間がかる。
みなさま、たいへんごぶさたいたしました。この長いお休み、なんとかならないのでしょうか。農園の経営上も都合が悪いのですが…。とりあえず、またこれから半年、ほそかわ農園のめくるめく畑に、どうぞおつきあいください。
今年は早々と雪が積もってしまった。畑の片づけとか、落ち葉集めとかもう少しやりたいこともあったのだが、こうなってはもう春になるまでお休みだ。 どうしてもっと早くやっておかないのか?まったくそのとおりなのだが…。本当に農業はお天気しだい、百姓の暮らしはその土地の気候風土次第だ。 さて、今ごろになると来年はどんな風にしようといろいろ考える。来年は、今でも十分楽しいのですが、より楽しく、気持ちよく農業したい。一言でいってしまえばこれだけだ。 どんなものでもその作物に合っていない季節に育てようとしたり、そもそも土地に合わないものを作ったりと、何か無理なことをしようとすると、健康に育たない。 そうなると家族に健康がすぐれない人がいるようなもので、いろいろ心配しなくてはならない。ちっとも楽しくないのだ。 畑で作物が野草のように、雑草のように元気に育っていれば、見ているだけで気持ちが良い。こっちまで元気になる。 また、例えばゴムアレルギーというのがあるが、これはゴムが、ゴムの木の幹にいく筋も傷をつけ、そこからしたたり落ちた樹液から作られるため、ゴムの木を傷つけストレスを与えることにより、 樹液中に生体防御たんぱく質が増える。それがアレルギーの元になるそううだ。健康に育った家畜の肉はおいしいというし、魚なども獲るときにストレスをを与えると、味が落ちるという。 野菜も健康に育つことが、まず何よりだと思うのだ。そして作物が健康であるためには、土が健康でなくてはならない。微生物からミミズまで様々な生き物が、元気に活動していて、 種々のミネラルがバランスよく含まれていなくては、野菜だってミネラル不足になってしまう。もちろん人間も…。
米づくりは楽しい。春、田植えをする。はじめはゆっくりと、毎日少しずつ大きくなる。分けつし、次第に葉っぱが増える。そよそよと風になびき、梅雨時の雨にうたれる。やがて穂が出て一面黄金色になる。そして稲刈り。毎年同じことの繰り返しだが、稲の姿は不思議と見飽きない。どうしてだろう。そして目をこらせば、田んぼには様々な小さな生命がいっぱいだ。トンボ、カエル、チョウ、バッタ…ホタルもだいぶ増えてきた。田植え後、しばらくするとミジンコが大発生するのだが、何でもないミジンコでも、わらわらと水中で動くさまを、ついしゃがみこんでつくづくと見てしまうのはどうしてだろう。
トマトはこぼれ種からもよく芽を出す。去年、何かの理由で収穫されずに地面に落ちたトマトから芽を出し、ビニールハウスのすみで、ひとりで勝手にすくすくと育つことがある。 そういうのに限って、ていねいに種まきして温床の中で大事に育てているものより、よほど元気そうなのはどうしてだろうか。かぼちゃもよくこぼれ種から芽を出す。 毎年、堆肥置き場の片すみから芽を出す。これはこぼれ種というか、台所の生ゴミとして捨てた種だ。こちらも放っておけば土手の上で元気いっぱいに勝手に育ち、秋にはちゃんと実をつける。 ただし、この実はおそらくいろいろ交配してしまっていて、どんなものがつくのかわからない。私の父母はこういうかぼちゃも「もったいない」と家に持って帰り、必ず食べる。 食べてみておいしければ、種をとってきれいに洗って乾かし、「おいしいから来年これをまけ」ともってきたりする。
10月にはいると、もはや畑に種まきするものはない。あ、「ライ麦」というのがある。これはライ麦を食べるためのものではなく、越冬緑肥としてまくものだ。ライ麦は緑肥として使う作物の中で、最も寒さに強い。寒さに耐えて少しずつ育ち、冬から春先の弱い太陽の光を、緑の葉っぱや根っことして有機物にかえてくれる。太陽の光をムダなく肥料にかえてくれるのだ。それから根っこが土をフカフカしっとりにしてくれるし(団粒化といいます)、土中の微生物のエサになったりして生物性を豊かにしてくれる。また冬の強い北風で、表土が吹き飛ばされるのを防いでくれる。畑が裸になっているとかなりの量の土が飛ばされてしまうらしい。おまけにライ麦やエン麦はアレロパシーという作用が強く、次作の雑草をかなり抑えてくれるのだ。ほんとにいいことばかりだ。
いろんな雑穀や麦類を作るのは私の趣味かもしれません。なぜだか種々の穀物を作ることが面白いのです。 なおかつ、麦や雑穀など栽培してもちっともお金にはなりません。というより金銭的にはむしろマイナス。どんなものでも栽培する以上、 多少とも世話をしてあげなくてはならないのですが、そんなものを作っているヒマがあるなら、他の野菜の作付けを増やせばもっとお金になるはずです。 面白くてお金にはならない…こういうのは趣味ですよね?
9月の始めはまだ夏ですが、9月の終わりごろはもうすっかり秋ですね。畑の野菜もちょうど夏から秋へと移り変わってゆく時期だ。 夏のあいだ、もいでももいでも次々に赤くなって、収穫が追いつかないほどだったトマト。 ペースが次第にゆっくりになる。いくら待っても赤くならない。どんどん遅くなり、最後には、とうとうもう赤くなれない青いままのトマトが残ってしまう。 青トマトのピクルスを少し作り、ビンに詰めれば、これで今年のトマトもおしまいということになる。たくさん食べました。