お米の収穫

わが家は自給用に2反(20a)ほど田んぼを作っている。長雨が続き、手間取りましたが、どうにか稲刈りも終わりそうだ。「へー秋はおわったかい?」なんて聞いてくるお年よりもいる。「もう稲刈りは終わったのか?」という意味だ。お米を作っているお百姓にとって、秋イコール稲刈りというわけだ。
うちでは大量の米を食べている。今、日本人はひとり平均1年間に60キロくらいの米を食べているらしい。我が家では1日約1キロ、単純計算で1年365キロ!もたべているらしい。ほんとですか?といいたくなります。わが家といっても大人2人と幼児2人だけだ。父母の分はまた別計算なのだ。うちはアトピー・アレルギー一家なので、たんぱく質や油分の摂取にいろいろ不自由がある。好むと好まざるにかかわらず、数十年前の日本の食事に近いものになっているようなのだ。それから作っている本人もそうなのだが、お米はタダと思っているフシがある。確かにお米代という形でお金がでてゆくことはないが、労力はたっぷりかかっているのだが…。
お米は土蔵にしまっておく。土壁の昔ながらの土蔵だ。中にブンコといって、お米を入れておくための小さな部屋がある。秋、そこにモミのまま一年分の米を蓄える。食べているお米がなくなると、そこから出してきて、精米機でもみすりし、精米して食べる。去年は冷夏でいつもの年の半分くらいしかお米が取れなかった。さいわいおととしたくさん取れたので、一年の半分くらいおととしの米を食べていた。いわゆる古米だ。今、土蔵の中にはモミで50キロくらい残っている。なんとか一年間食いつなげたわけだ。昔なら、土蔵に米がなくなったらそれこそ大変なことだろうが、今なんか気楽なものです。お店に行けばいくらでも売っている。しかも自分で作る労力を考えると、買ったほうが安いくらいなのだ。
今、日本の田んぼは半分くらいが転作で、米以外のものが植えられているか、あるいは利用されていない状態だ。うちの近所でも半分くらいの田はあそんでいる。それでも残りの半分ではみんなせっせと米を作っている。村には専業農家の人はほとんどいない。会社に勤めるかたわら、休みの日を使って田植え、稲刈り、土手草刈と結構忙しそうだ。「大変そうだな。お米なんて買ったほうが安いのに」と以前は思っていたのだが、自分でやってみると米作りって楽しい。本当です。春、一番最初に田んぼに水を入れるときはワクワクする。そして何年か作っているうちに、田んぼというところが、うまく説明できないけれど、何か特別な場所に思えてきた。世の中がどうなろうとせっせとお米作りを続けるお年よりの気持ちが、少しだけわかるような気がするのです。そう、今年は誰か上手な人に教わって、うちの田んぼのワラでお正月の「しめなわ」を作ってみたいな、と思っています。