農家のお年寄りから学んだこと


富士見でお百姓を始めた10年以上も前のころは、近所に元気なお百姓のお年寄りがたくさんいた。若い同業者の私たちが珍しかったんでしょう、何かとめんどうを見てくれた。「このささぎ(いんげんの方言)の種くれる(あげるの方言)で、まいてみな。」とか、他にも自家製のお漬物などよくいただいた。私たちの田んぼや畑の様子もよくチェックされていて、「今年はナスがばかに調子いいじゃん」とか何とかよく声をかけてくれたのだが、草ぼうぼうの畑を見られるのはちょっと恥ずかしかった。子供の頃から百姓仕事をしてきて、様々な苦労をされてきたと思うが、みんな田んぼや畑が大好きで、好奇心旺盛で、いきいきとしていた。家でのんびりしていられなくて、老人車を押しながら毎日畑に通っていたおばあちゃん。突然道端でしゃがんで平気で用足しをするおばあちゃん。そんなお年寄りたちを見てたくましさを感じ、「地に足をつけて生きるとは、まさにこのことなんだ!」と、強いあこがれを抱いていた。
 それから何年も経ってひとり、またひとりとお百姓をリタイヤされ、亡くなられるのを見てきて、本当に寂しい。空いている田畑も随分増えた。どうりで私たちも40代半ばになり、年をとったわけだ。しかし相変わらず近所のお百姓の中で最年少に変わりない。
 農村部は過疎化し、耕作放棄地は増加している。一方で就職できない若者がたくさんいる。また、日本は食料自給率が低いけれど、いつまで食料を輸入できるかわからないし、海外には食料が足りなくて困っている国も多いのに、搾取していいのだろうか。それなら若者がどんどん田舎に来てお百姓を始めるよう、うまく仕組めないものか。各地で少しずつ始まってはいるが、農家のお年寄りからいろんなことを学べる時間は、もうそんなに長くない。 (ひ)

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