2006年

保存食作り

daikon○毎年11月末頃からお漬物作りが始まります。今年はキクイモの粕漬け、野沢菜漬け、たくあん、赤カブ漬けの4種類を作りました。夫の母に作り方を教わったり、本を見ながら作ります。自分の家で作った野菜を無駄にしたくなくて、つい作りすぎてしまうのが難点。お漬物は塩分を取りすぎるからと敬遠されがちですが、すぐれた醗酵食品で腸内細菌を整える働きもあります。ご飯とお味噌汁とお漬物さえあれば、栄養十分の立派な食事です。
○私は農家の生まれではないので、収穫した物を保存する目的でお漬物、ジャム、乾物、びん詰などにするということがとても新鮮でした。冬に保存食品がたくさんあると安心、うれしい。冬の間は家にある保存野菜を使い、お店ではできるだけ買わずに過ごしてみるつもりです。秋に収穫したこんにゃく芋を使ったこんにゃく作りや、納豆作りにも挑戦してみたい。野菜がふんだんにあっても料理に手間がかけられない夏場より、野菜の種類は限られていてもゆっくり料理を楽しめる冬の方が豊かな食卓になるのかもしれません。

カテゴリー
 

野菜の保存法

標高1000mのこのあたりでは、冬場、野菜を保存するという事は、何とか工夫して凍らせないようにするということに等しい。 マイナス15度を下回る最低気温もさることながら、最高気温が0度を越えない真冬日が続くのが効く。すべての物が少しづつ凍ってゆくのです。 うちのように、イモやら大根やら白菜やらどっさり蓄えて、収入ゼロの冬をなんとか乗り切ろうというものにとっては、なかなかやっかいだ。 それぞれの野菜に適した場所にせっせとしまい込むのだが、イモが凍ってしまったなんて失敗もよくあるのです。
 さて、一般的な野菜の保存方法です。ホウレンソウなどの葉物類、キャベツ、白菜、ブロッコリー、レタスなどは、0度くらい、 凍らない範囲でなるべく低い温度で保存したほうが、消耗が少なく長持ちします。冷蔵庫に野菜室というのがあれば、そこに入れるのがいちばんです。 しなびてしまわないように、新聞紙などにくるんだほうがよいでしょう。
 ジャガイモ、タマネギも0度近い温度が最適です。(どの野菜もそうですが凍らせてしまってはいけません)湿度は嫌うので、なるべく風通しのよいところに置くのがいいです。 ジャガイモは光が当たると緑色になってしまいます。そこまでいかなくても、えぐみが出ます。皮ごと美味しくいただくためにも、厚めの紙袋などに入れておいたほうがよいです。
 大根、人参も凍らない範囲で涼しいところがよいです。しなびてしまわないよう、ビニール袋にいれてください。特に大根はそのまま置いておくとすぐに「す」が入ってしまいます。 一番よいのは土に埋めておくことです。こうしておけば、春までずっと食べることができます。
 カボチャ、サツマイモは暖かい部屋においておきます。できれば10度くらいあったほうがよいようです。寒いといたんでしまいます。 サツマイモはやや湿度があるほうがよいので、袋に入れるか新聞紙でくるんだほうが長持ちします。
 野菜は、収穫したあとも生きています。例えばニンジンの種を取ろうという場合、秋に収穫し、形の良いものを選びます。それを凍らないように土の中に埋めておき、春に掘り出して、再び畑に植えるのです。 すると葉を切り落としたところからまた葉が出てきて、やがて茎をのばし、花を咲かせ、種をつけるのです。台所に転がっているニンジンにもこんなパワーがあるなんて驚きです。 私たちが食べてしまうまでは、生きているのです。野菜の保存はなるべく消耗しないよう、静かに眠っていていただくという感じでしょうか。

カテゴリー
 

冬の仕事

ここでは冬という季節がとてもはっきりしている。雪の量はそれほど多くないが、田畑の土は凍りつき、くわはもちろんトラクターでもおこす事はできない。 春になるまで畑仕事はおやすみだ。
 冬は冬の仕事をする。山から丸太を運び出し、チェンソーで切り、斧でわり、薪小屋に運び込む。家のあちこちに手を入れたり、小屋をつくったりの大工仕事も農閑期の冬しかできない。 そしてコタツで次の春からの計画を考える。種を注文し、3月からまた種まきが始まる。夏よりは、本もよめる。
 農業にかぎらず、自然から糧を得る仕事は、自然に寄り添い、自然のサイクルにしたがって生活してゆくしかない。その生活は、いかんともしがたく不便で、限りなくめんどくさい。 雨やら風やらの災いは、人の力では防ぎようもない。けれど理屈ぬきの喜びを与えてくれる。小さな種が芽を出し、育っていくのを見るのは楽しい。小さな虫や小鳥に出会うことは楽しい。 くそ暑い日も、チョー寒い日も外で体を動かすことは楽しい(ほんと?)
 もっとシンプルに、より豊な生活ができたらと思うこのごろです。 

写真:田んぼにも雪が降った。

カテゴリー
 

昔のお百姓さんの知恵

ハラハラと木の葉が舞い落ち、また落ち葉集めの季節が来た。いったいなぜ落ち葉なんか集めるのか、それは「ふみこみ温床」というものに使うためなのです。
春は、3月半ばころから野菜の種をまき、苗を育て始めるのだが、この頃は、まだ毎朝氷点下の気温だ。芽を出し、育ってもらうためには、少し温めてあげなくてはならない。 そのために温床を使う。種を播く1週間ほど前に、ビニールハウスの中に、木の棒で骨組みを作り、わらたばでかこい、1.5メートル×5.4メートルの四角いわくを作る。 この中に落ち葉を入れ、米ぬかと鶏糞をふりかける。切りわらを少しいれ水をかける。足で適度に踏みつける。 これを何度もくり返し、枠のふちのすぐ下まで、厚さ50~60cmくらいに落ち葉を詰め込む。軽トラックに山盛り3台は落ち葉が入る。 4~5日後、落ち葉の中に手を入れると、お風呂の湯くらいの温度になっている。この醗酵熱で苗を育てるのだ。 堆肥を作るのと原理は同じだが、40度くらいの低めの熱がなるべく長く続くようにするには、踏みつけぐあいと、水の量で加減する。強く踏みすぎ、あるいは水が多すぎると温度が上がりにくい。 反対に、踏み込みが弱い、あるいは水が少ないと、急に高温になり、またすぐ下がってしまう。サーモのような細かい温度設定はできないが、けっこう元気に苗は育ってくれる。 温床に使った後の落ち葉は、切り返しつつ2年寝かせるとふっかふか!の極上腐葉土になる。これは野菜の苗の鉢あげに使う。まさに昔のお百姓さんの知恵だ。
こういう昔の技術って一見遅れているように見える。たしかに便利とはいえない。体を動かさなくてはならないし、こつがいるのもたしかだ。 しかしよく見ると合理的だし、ムダがなく、環境にもやさしいのだ。
 稲の苗を昔ながらに田んぼで育てる場合、田んぼの一部分を、小さなあぜで区切って苗代にし、ここにモミをまいた育苗箱をふせこむ。 近所に、毎年、この「手あぜ」を、くわ一本できれいに作るおばさんがいる。まっすぐで、左官屋さんがこてでなでたかのように平らでツルツル。美しいのだ。 もちろん美しいだけではこまる。あぜから水が漏れてしまっては、苗代ははつかいものにならない。ちなみに、こういう技術のない私の苗代では、残念ながらビニールのあぜシートを使用している。 来年こそ、ぜひ教えていただこう。 

写真: 麻袋
愛犬の犬小屋の敷物にするつもりで、土蔵から、大きな麻袋を引っぱりだした。かなり古そう。何を入れるのに使った物か、中からくるみが一粒でてきた。 裏返すと、びっしりとつぎがあててあった。おそらく祖母がやったのだろう。なぜだか美しくみえる。

カテゴリー
 

贅沢な時間

15cmほど芽を出したニンニクの株元に、ハコベがこんもりとはえている。一見やわらかく、たよりなさそうに見えるが、油断してはいけない。 来年まで放っておくと、たいへん立派なハコベに育ってしまう。しゃがみこんで草取りを始める。たぶんこれが今年最後の草取りだ。やれやれ…。 そうはいっても11月になれば、夏のような忙しさはない。指先にハコベのもしゃもしゃした感触を感じつつ、ぼーっと草を取る。 単純作業である。 何か有意義なことでも考えればよいのだろうが、あまりややこしいことを考えると、こんどは手が動いてくれない。さっさっと手を動かしていると、 頭はたいしたことを考えてくれない。ふと気が付くと、同じことをくり返し考えていたり、あるいはいつのまにか古いフォークソングかなにかうたっていたり…。 そして小鳥や虫が目に入れば、なんだろうとじっと目をこらす。飛行機が飛んでくれば、口を開けて見上げる。ついでにそのまましばらく雲を見ていたりする。 ただ見ているだけ。きれいとか、なんとか思う以前の状態。そういえば昔から、ぼーっとしていると指摘されることが多かった気がする。 しかし、空の色や雲の色、木々の色づきぐあい、昨日と今日では、ほとんど変わらないように見えるが、まったく同じではない野菜の姿。 普段あたりまえに見ている光景も、その微妙さはとうてい言葉では言い表せないとも思う。 

写真:収穫の適期を過ぎつつある大豆
早く収穫しないとこんなふうにパチンとさやがはじけ、実が飛び散ってしまう。 マメのさやって自分のタネをなるべく遠くに飛ばすための道具でもあるのです。

カテゴリー
 

秋から冬へ

野菜の配達のため、毎週、八ヶ岳の標高1500mあたりまで車でのぼっていくんですが、最近急に木々がいろづいてきた。 紅葉も、その年の気候によってだいぶ色合いが違うのですが、今年はけっこうよさそうで楽しみだ。
 今ごろから、毎年ほぼ同じような順をおって一つずつ冬の準備をしていくことになる。先日、タマネギを植えた。 冬が来る前に、なるべく根っこがはるように良く熟した堆肥だけ入れてやる。冷たい北風が少しでもあたらぬように、 うねの北側の土を盛り上げておく。これで今年の植えもの、種まきは、すべておしまい、また来年だ。 アワと高キビを収穫した。穂の部分に少し茎をつけてはさみで切り、束ねてつるして、今乾燥中だ。エゴマも収穫した。 エゴマはすぐにぽろぽろ実が落ちてしまうので、ていねいにカマで刈り取る。こちらはハウスの中で乾燥中。大豆の収穫はもう少し先になる。 そうそう、田んぼのわらも納屋に運び込まなくては。それから寒さに弱い野菜から順に収穫し、ムロに入れたり、土にうめたりして貯蔵してゆく。 次は野沢菜やらたくわんやら漬けものつくり…
 秋が深まってゆき、まだ冬本番前の一時期、なにか気ぜわしく感じる。冬に備えて、せっせとドングリを集める、リスや野ねずみの気持ちがわかるような気がする。
雪が降ってしまったら、もうどんぐりが見えなくなってしまう!冬をむかえるのって、毎年少し、緊張感があるのだ。

写真:色づいたヤマトイモの葉
すっかり葉っぱが枯れれば、芋のあくが消えて収穫どきを迎える。

カテゴリー
 

田んぼの生き物

田んぼにはいろんな生き物がいる。自分で田んぼを作り始めて、だいぶしばらくたってから、そう気がついた。
春、まだ寒い頃、苗代用のちいさな田んぼに水をはり、代かきをすると、2,3日後には必ず卵のかたまりが産みつけられている。 ヤマアカガエルだ。このカエルは、ふだんは林の中で暮らしていて、産卵の時だけ田んぼにやってくる。 卵からかえった「オタマッコ」は2ヶ月ほどで子ガエルになり、田んぼからあがるとまた林に帰っていくのだという。
初夏、夜の田んぼはカエルの大合唱だ。今まであまり気にとめたこともなかったが、教えてもらうと、たしかにコロコロときれいな声でなくカエルがいる。 シュレーゲルアオガエルというのだそうだ。土手の土の中にもぐっていることが多く、なかなかお目にかかれないが、アマガエルとちょっと違うかわいらしい顔をしている。
トンボも、今までアカトンボ、シオカラトンボ、ヤンマ、その他のトンボ、くらいにしか識別していなかったが、ずい分いろんなトンボがいるんですね。 小さなイトトンボには、宝石のように美しいやつがいることも知りました。
前からそこにいたのでしょうが、お顔と名前が一致して初めてそこにいることに気がつく。こうして毎年少しずつ新しい顔と知り合える、今では、田んぼを作る大きな楽しみだ。

写真:ハザにかけた稲
天気がよければ1週間ほどで乾くのだが、今年の秋は雨が多く、なかなか脱穀できない。

カテゴリー
 

収穫の秋

秋はいろんなものを収穫する季節、まめの収穫の話です。花豆やインゲン豆などつるありの豆は、長いつるを伸ばしながら順にさやをつけていくので、 さやが茶色く枯れたものから順次収穫してゆく。何回も雨にあたったりすると、カビがふいたりして、いたんでしまうので、こまめに取る。 大豆のたぐいは、ほぼ全体が枯れあがったのをみはからって一気に刈り取る。取った豆は、家の軒先や、空いているビニールハウスなどに広げてさらによく乾かす。 軒先のは、雨にあたったりしてはまずいので、朝晩広げたりしまったりする。からからに乾いたら棒でばしばしとたたく。 大豆など量の多いものは唐棹(からさお)を使う。長い棒の途中が関節のようになっていて、さきのほうだけくるりと回る棒、ご存知でしょうか。 今のところわが家の最新技術だ。乾いたさやがはじけて中のまめが飛び出す。ふるいでふるって大きなゴミを取り除く。やっとまめが顔を出してくる。 次いで唐箕(とうみ)にかける。手で回して風をおこし、少しづつまめを落とし、今度は小さなゴミを取り除くのだ。最後は虫食いなどを手で選別する。けっこう手がかかる。 おまけに豆の種類も毎年増えていっているようなのだ。今年も近所の人から「長―いインゲンでうまい」とか言うタネをもらい播いてみた。 種苗交換会に出かけ、珍しい小豆の種をもらいこれもついつい播いてしまった。今どうやらたわわに実っているようだ。さあ収穫しなければ…
なぜこんなぐあいに次々といろんな作物を作ろうとするのか、自分でもよくわかりません。そんなにめんどうなら買えばいいですよね。 けれど、やってみると、お金を出して買うのと、現物を収穫するのでは、なにか違うのだ。

写真:チコリの花(左)とサンチェの花(右)
花が咲くと、レタスの仲間は「キク科」だということがよくわかる。 チコリは播きどきを誤り花が咲いてしまったのだが、驚くほどきれいだった。

カテゴリー
 

野菜の味

野菜の味っていったい何によって決まるのでしょう。
 まずは何といっても旬のものがおいしいのだが…たとえば、カブは、は春と秋それぞれ数回ずつに分けて種をまく。 春一番のは、なるべく早くお届けしたいので、まだ寒いうちに少し無理して早めにまく。 するとどうしても虫がつきやすく、きれいなカブにならないし、味ももうひとつ。その次あたりが、もっともおいしい。 そして7月に入り徐々に暑くなってゆくのにつれて、辛みがでたり、少しずつ味がおちてくる。 収穫のときは、たいてい引き抜いたカブの土をシャツのすそでふき、試食と言うか、つまみぐいをするのだが、毎回味が違う。 トウモロコシも夏から秋にかけて、なるべくコンスタントにとれるよう早生と晩生の品種を使い、数回にわけて種まきする。 実の先についた毛が茶色くなり、先のほうまでふくらんでくると食べごろだ。こちらも畑で生のままかじって味見しているが、本当においしい時期は、 それぞれ、せいぜい1週間くらいしかない。一言で旬といってもなかなか微妙だ。
 それからその土地の気候風土も大きく作用する。標高1000mのこのあたりでは、強い日差しと、昼と夜との大きい温度差によっておいしい野菜ができる。 しかしもう少し八ヶ岳を登っていった、標高1400mあたりで畑を作っている知人によると、そこで取れたジャガイモやトマトは、それはそれはうまいそうだ。 そうかもしれない。なにせ、ジャガイモやトマトはアンデスの高地が原産地。野菜によって好きな気候はさまざまなのだ。
 また、どんなふうに野菜を販売するかということも、実は味に影響する。スーパーや流通業者に出荷となると、どうしても規格や見た目が大事になる。 その点直接、食べていただく方一軒一軒にお届けしていると、安心、味が最優先。食いしん坊の私としても好都合なのだ。

写真:垂れ下がってきた粟の穂
秋は穀物が実る季節だ。すずめに食べつくされる前に収穫しなければいけない。粟の
穂は形がかわいいので、ドライフラワーにして飾っている。

カテゴリー
 

夏の生活

標高1000mの高原にも夏がきた。人に会えば、みなあいさつがわりに「暑いなあー」と言う。たしかに暑い。それに高原の夏は、気温以上に日差しが強い。 ジリジリする。しかし誰も嫌がっているふうではない。むしろうれしそうだ。昼も夜も半袖で過ごせる季節。畑が一年中で一番にぎやかな季節。貴重な一瞬の夏だ。
 トマトが赤くなる速さは、気温しだい。寒いとゆっくりだが、暑くなるにつれて、どんどん早くなってくる。取っても取ってもたちまち赤くなる。 キュウリの生育も暑さしだい。これだけ暑いとたちまち大きくなる。そして最初、大きくなるのが待ちどうしかったナスやピーマンも、花を咲かせ実をつけ、 さらに枝を伸ばし、枝分かれし、またそれぞれ花を咲かせ実をつけさらに枝を伸ばし枝分かれし…きりがない。 こうなってくると、畑で働く人の生活も変化する。朝、明るくなるのと同時に収穫スタート。 トマトをもぎ、キュウリを取り、ナスやピーマンを取りと、毎日ひたすら収穫。毎日どっさり取れる。 そのうちふと気が付くと、せっかくきれいに除草したニンジン畑が、ネギ畑が、またすっかり草だらけだ。たいへん、草取り、草取り…、 それから秋の準備、キャベツを植え、白菜を植え、ホウレンソウをまいて…。しだいにめまぐるしいと言うか、わたしが野菜にこき使われているような気さえしてくる。 わが家のささやかな家庭菜園である小さなイチゴ畑は、どうしても手が回らず、去年同様またすっかり草に覆われてしまった。
 しかし、そうこうするうち、お盆を過ぎてしばらくすると、急に涼しい風がふいてくる。もう萩が、オミナエシが咲いている。稲穂がかしいでくる。 ほんとうに一瞬の夏なのだ。

写真:モロッコインゲンのトンネル
今年はここの畑で作業中にギンヤンマとオオムラサキを見かけた。どちらも今では希少な種だ。

カテゴリー