稗之底村跡に行ってきました

秋の長雨が上がった訳でもない暗い日の午後に行くような場所ではなかったのかもしれません。名前からしてなんというか、暗い感じがしてしまいます。何でわざわざ村の名前に「底」という字が入っているのか、謎です。
と、帰ってきてからGoogle検索したところ、
考察をされている方
を見つけました(てトップヒットなんですけど)。

同じ方の書いた記事ですが、
怪 し の 森 再 び
ちょっと拝見しましたが、怖すぎます。

「稗」という字ですが、雑穀のヒエを漢字で書くとこの字ですが、他にも「稗史」とすると「昔、中国で稗官が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。小説。(MacOS10.5の国語辞書より)」となるようです。
これから村を作って住もうという人たちが付ける名前ではないような気がしますので、廃村後「あんなところには住めたもんじゃない」ということで付けた、あるいは通称となってしまった名前かもしれません。あからさまに「作り話の村(底はどこ行った)」な訳はないですね。

他、宮崎駿氏による考察(抜粋?)なんかも興味深いです。

入り口はこの辺でした


詳しい地図で見る

というか、「稗之底村」「廃村跡」という字面から、もの凄い山の中というか人気(ひとけ)の無いところかとおもったら、数年前まで作っていた牧草地の近くでした(上の地図にある牧草地ではありません)。


稗之底村跡に行ってきました” への1件のコメント
  1. さくま より:

    ヒエダノアレにしろヒミコにしろ、後から卑しめられた当て字をされたと考えられる名前がありますよね。卑弥呼なんて、中国の音写とはいえ、支配者の名前じゃないです。「日御子」「日見子」「日巫女」だったろうという話もあったり。

    地名もしかり。明らかに作為でしょうね。「稗」は「甲斐」の「斐」だったであろうと考えるのが妥当かもしれません。
    ……「稗の底」は「(甲)斐はそこ」だったとか?(笑)

    武田は、奥多摩の黒川金山&おいらん淵の件もあるので、「用が済んだら撤収!」だったのは間違いないと思いますが。

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