不便で素敵な暮らし

私は大阪の郊外で生まれ育ったので、信州に来るまでまったく農業の経験はなし。でも、母の実家が大阪南部の山の中の田舎で、子供のころよく遊びに行きました。

家は古い茅葺の民家で、母の子供のころは、土間で農耕牛を飼っていたそうだ。お風呂は、蓋を入る時に沈めて底にするいわゆる「五右衛門風呂」で、薪をくべるのが楽しくてずっと眺めていた。トイレは外に出て20mくらい離れたところにあり、夜に行くのがとても怖かった記憶がある。家の中も夜は古民家特有の、部屋の隅っこが暗いというか、座敷わらしが出てきそうな、何だか少しおどろおどろしい雰囲気だった。

夏はいとこ達と弟と一緒に近くの川に行って、沢がにを捕まえたり、澄んだ湧き水を手ですくって飲んだり。冬は伯父の所有するみかん山へ行って、みかん狩りをさせてもらったり。とても楽しかった。祖母が作った野菜もたくさん食べさせてもらった。河内弁のとても優しい祖母で、私がお百姓になった時も喜んでくれた。今は93歳で寝たきりになってしまったが、先日も会いに行ってきた。

その頃の体験したことと同じような暮らしを幸運にも現在しているわけだが、自分が突然農業をやりたい!と思ったのも、その楽しかった記憶があったからなのかもしれない。

そんな生活が日常になっているうちの子供たちは??たぶん、とりあえず都会にあこがれるんじゃないかな。特に6年生の息子は、新しい家と、ボタンひとつでお風呂が焚けちゃうような便利な暮らしがうらやましい、とよく言っています。(ひ)

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