2006年11月

昔のお百姓さんの知恵

ハラハラと木の葉が舞い落ち、また落ち葉集めの季節が来た。いったいなぜ落ち葉なんか集めるのか、それは「ふみこみ温床」というものに使うためなのです。
春は、3月半ばころから野菜の種をまき、苗を育て始めるのだが、この頃は、まだ毎朝氷点下の気温だ。芽を出し、育ってもらうためには、少し温めてあげなくてはならない。 そのために温床を使う。種を播く1週間ほど前に、ビニールハウスの中に、木の棒で骨組みを作り、わらたばでかこい、1.5メートル×5.4メートルの四角いわくを作る。 この中に落ち葉を入れ、米ぬかと鶏糞をふりかける。切りわらを少しいれ水をかける。足で適度に踏みつける。 これを何度もくり返し、枠のふちのすぐ下まで、厚さ50~60cmくらいに落ち葉を詰め込む。軽トラックに山盛り3台は落ち葉が入る。 4~5日後、落ち葉の中に手を入れると、お風呂の湯くらいの温度になっている。この醗酵熱で苗を育てるのだ。 堆肥を作るのと原理は同じだが、40度くらいの低めの熱がなるべく長く続くようにするには、踏みつけぐあいと、水の量で加減する。強く踏みすぎ、あるいは水が多すぎると温度が上がりにくい。 反対に、踏み込みが弱い、あるいは水が少ないと、急に高温になり、またすぐ下がってしまう。サーモのような細かい温度設定はできないが、けっこう元気に苗は育ってくれる。 温床に使った後の落ち葉は、切り返しつつ2年寝かせるとふっかふか!の極上腐葉土になる。これは野菜の苗の鉢あげに使う。まさに昔のお百姓さんの知恵だ。
こういう昔の技術って一見遅れているように見える。たしかに便利とはいえない。体を動かさなくてはならないし、こつがいるのもたしかだ。 しかしよく見ると合理的だし、ムダがなく、環境にもやさしいのだ。
 稲の苗を昔ながらに田んぼで育てる場合、田んぼの一部分を、小さなあぜで区切って苗代にし、ここにモミをまいた育苗箱をふせこむ。 近所に、毎年、この「手あぜ」を、くわ一本できれいに作るおばさんがいる。まっすぐで、左官屋さんがこてでなでたかのように平らでツルツル。美しいのだ。 もちろん美しいだけではこまる。あぜから水が漏れてしまっては、苗代ははつかいものにならない。ちなみに、こういう技術のない私の苗代では、残念ながらビニールのあぜシートを使用している。 来年こそ、ぜひ教えていただこう。 

写真: 麻袋
愛犬の犬小屋の敷物にするつもりで、土蔵から、大きな麻袋を引っぱりだした。かなり古そう。何を入れるのに使った物か、中からくるみが一粒でてきた。 裏返すと、びっしりとつぎがあててあった。おそらく祖母がやったのだろう。なぜだか美しくみえる。

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贅沢な時間

15cmほど芽を出したニンニクの株元に、ハコベがこんもりとはえている。一見やわらかく、たよりなさそうに見えるが、油断してはいけない。 来年まで放っておくと、たいへん立派なハコベに育ってしまう。しゃがみこんで草取りを始める。たぶんこれが今年最後の草取りだ。やれやれ…。 そうはいっても11月になれば、夏のような忙しさはない。指先にハコベのもしゃもしゃした感触を感じつつ、ぼーっと草を取る。 単純作業である。 何か有意義なことでも考えればよいのだろうが、あまりややこしいことを考えると、こんどは手が動いてくれない。さっさっと手を動かしていると、 頭はたいしたことを考えてくれない。ふと気が付くと、同じことをくり返し考えていたり、あるいはいつのまにか古いフォークソングかなにかうたっていたり…。 そして小鳥や虫が目に入れば、なんだろうとじっと目をこらす。飛行機が飛んでくれば、口を開けて見上げる。ついでにそのまましばらく雲を見ていたりする。 ただ見ているだけ。きれいとか、なんとか思う以前の状態。そういえば昔から、ぼーっとしていると指摘されることが多かった気がする。 しかし、空の色や雲の色、木々の色づきぐあい、昨日と今日では、ほとんど変わらないように見えるが、まったく同じではない野菜の姿。 普段あたりまえに見ている光景も、その微妙さはとうてい言葉では言い表せないとも思う。 

写真:収穫の適期を過ぎつつある大豆
早く収穫しないとこんなふうにパチンとさやがはじけ、実が飛び散ってしまう。 マメのさやって自分のタネをなるべく遠くに飛ばすための道具でもあるのです。

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