2005年

もっと楽しく農業を

今年は早々と雪が積もってしまった。畑の片づけとか、落ち葉集めとかもう少しやりたいこともあったのだが、こうなってはもう春になるまでお休みだ。 どうしてもっと早くやっておかないのか?まったくそのとおりなのだが…。本当に農業はお天気しだい、百姓の暮らしはその土地の気候風土次第だ。 さて、今ごろになると来年はどんな風にしようといろいろ考える。来年は、今でも十分楽しいのですが、より楽しく、気持ちよく農業したい。一言でいってしまえばこれだけだ。 どんなものでもその作物に合っていない季節に育てようとしたり、そもそも土地に合わないものを作ったりと、何か無理なことをしようとすると、健康に育たない。 そうなると家族に健康がすぐれない人がいるようなもので、いろいろ心配しなくてはならない。ちっとも楽しくないのだ。 畑で作物が野草のように、雑草のように元気に育っていれば、見ているだけで気持ちが良い。こっちまで元気になる。 また、例えばゴムアレルギーというのがあるが、これはゴムが、ゴムの木の幹にいく筋も傷をつけ、そこからしたたり落ちた樹液から作られるため、ゴムの木を傷つけストレスを与えることにより、 樹液中に生体防御たんぱく質が増える。それがアレルギーの元になるそううだ。健康に育った家畜の肉はおいしいというし、魚なども獲るときにストレスをを与えると、味が落ちるという。 野菜も健康に育つことが、まず何よりだと思うのだ。そして作物が健康であるためには、土が健康でなくてはならない。微生物からミミズまで様々な生き物が、元気に活動していて、 種々のミネラルがバランスよく含まれていなくては、野菜だってミネラル不足になってしまう。もちろん人間も…。
来年は田んぼをもう少し増やしたいし、もう少し上手に作ってみたい。欲張ってはいけないが、もう少し収量も上げたい。きのこを作って、みなさんにお届けしたい、ミツバチを飼ってみたい。 果樹を育てたい。野菜に関しては、おそらく一生かかっても学びつくせないだろう。やりたいことはたくさんあるが、楽しく、気持ちよく、無理のないように、 そしてじっと作物を見ていれば、まちがいないという気がする。

写真:雪にうもれて春を待つネギの苗

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寒さに強い野菜

いよいよ寒くなってきた。いろんな野菜を次々収穫し、貯蔵し、畑のほうはすっかり寂しくなってきた。このあたりでは畑でそのまま冬を越すことのできる野菜は少ない。何せ寒いのだ。 ただ、ネギの仲間だけは苗のまま畑で冬を越す。タマネギは10月に苗を植える。今、エンピツより少し細いくらいで、ひょろりと立っている。何だかたよりない。 よくこんなものが冬を乗り越えると感心してしまう。マイナス15℃にはなるのだ。もっともこの辺はタマネギ栽培には寒すぎて適地とはいえない。 年によってはかなり枯れてなくなってしまうことがある。今年は暖冬との予報が出ているようだし、なんとか春までがんばってほしいのだが。
長ネギはタマネギより寒さに強い。しかし今年は、種まきの時なかなか雨が降らず、発芽が遅れたため、いつもより苗が小さめだ。大きすぎても春先トウが立つが、 小さすぎると寒さに負ける。根が浮きあがって枯れてしまうことがある。根元にモミガラを厚めにかけておく。何だか無責任みたいだが、あとは何とかがんばってもらうしかない。
ニンニクは寒くてもへっちゃらだ。9月にニンニクを手で割った一粒ずつを地面に埋める。いわば球根だ。今は15cmほど芽が出た状態だ。このまま冬を越す。 寒さにやられるのを見たことがない。ニンニク、タマネギは冬を乗り越えると、まだ寒いうちからめきめき大きくなり、6月には収穫を迎えることになる。

地面にぴったりとはりついて、ロゼット形になったホウレンソウ。
これで寒さ対策は準備OKだ。ただし、収穫作業はやりにくい。

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楽しいお米づくり

米づくりは楽しい。春、田植えをする。はじめはゆっくりと、毎日少しずつ大きくなる。分けつし、次第に葉っぱが増える。そよそよと風になびき、梅雨時の雨にうたれる。やがて穂が出て一面黄金色になる。そして稲刈り。毎年同じことの繰り返しだが、稲の姿は不思議と見飽きない。どうしてだろう。そして目をこらせば、田んぼには様々な小さな生命がいっぱいだ。トンボ、カエル、チョウ、バッタ…ホタルもだいぶ増えてきた。田植え後、しばらくするとミジンコが大発生するのだが、何でもないミジンコでも、わらわらと水中で動くさまを、ついしゃがみこんでつくづくと見てしまうのはどうしてだろう。
それに何といってもお米は主食だ。秋、一年間食べる米を、土蔵に蓄えるという作業。これはやはり何か充実感がある。お米代なんてお金にすれば残念ながら大したことはないのだが、現物はずっしりと重いせいだろうか。「米と味噌さえあれば、生きてゆける」と本気で思う。
しかし、米作りは難しい。実は毎年なかなかうまくいかない。草は生えるわ、稲のできは悪いわとなると、もうがっかりだ。何せ米作りは一年に一回だ。だめならまた来年がんばるしかない。来年はこりずにもう少し田んぼを増やそうと思っている。どういうふうにしたらうまくゆくだろうか、とあれこれ考えるのもまあ、楽しいといえば楽しい。
近所にも自給的に米を作っている人がまだかなりいる。高齢の方が多い。口ではもうからないとか、大変だとか言っている。楽しいなんて決しておっしゃらない。確かに米作りといえば、昔から八十八の手間のかかる大変な労働ということになっている。けれどみんな本当にお元気で、足しげく田んぼに通っている様子を見ていると、やっぱりどうも楽しそうなのだ。

写真:たくあんの大根を干す
この時期、でーこを漬け込むのもすっかりわが家の恒例行事になった。あーもういよいよ冬が近い。八ヶ岳も白くなった。

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種をとる

トマトはこぼれ種からもよく芽を出す。去年、何かの理由で収穫されずに地面に落ちたトマトから芽を出し、ビニールハウスのすみで、ひとりで勝手にすくすくと育つことがある。 そういうのに限って、ていねいに種まきして温床の中で大事に育てているものより、よほど元気そうなのはどうしてだろうか。かぼちゃもよくこぼれ種から芽を出す。 毎年、堆肥置き場の片すみから芽を出す。これはこぼれ種というか、台所の生ゴミとして捨てた種だ。こちらも放っておけば土手の上で元気いっぱいに勝手に育ち、秋にはちゃんと実をつける。 ただし、この実はおそらくいろいろ交配してしまっていて、どんなものがつくのかわからない。私の父母はこういうかぼちゃも「もったいない」と家に持って帰り、必ず食べる。 食べてみておいしければ、種をとってきれいに洗って乾かし、「おいしいから来年これをまけ」ともってきたりする。
今、種は大手種苗会社から購入するのがあたりまえになっているが、本来、百姓は自分でまく種は自分で取っていたのだろう。現在うちで種とりしているのは、米、麦などの穀物と、大豆、花豆などの豆類だ。 これらは、みんな収穫物そのものが種なので、これを来年そのまままけばよい。種とりは楽だ。一方、野菜の方は少し面倒だ。 種をとるには花を咲かせ、実をつけてもらわなくてはならないが、ナスやトマトなどの「実」を食べる果菜類以外は、花が咲いてしまっては困るのだ。春先、まだ寒いのに、欲張って早く種まきしすぎると、 大根やニンジンなどトウ立ちし、花をつけてしまうことがある。なるべく高く花をつけようというのか、ずいずいと茎を伸ばす。この茎の丈夫さには驚かされる。 葉っぱとはまったく違う材料でできているとしか思えない。根っこもかたくなり、こうなるともう食べることはできない。けれど種をつけ、なるべく多く子孫を残そうとすることは、 植物にとって本当は一番大切なことなのだろう。普段見ているのとはまったく違う姿に変わった野菜を見るとそう思う。種とりって面倒だけど、奥が深くて面白そうなのだ。
野菜の地方品種を集めた本を見ると、大根なら赤いのあり、緑色のあり、葉っぱの形もさまざま、日本一の激辛なんてのもある。 数十キロの大きさになるものもあるし、どれよりかたいのが特長というのもある。本当にその多様性はおどろくばかりだ。 多様であるということは、一方で効率が悪いということでもある。しかし、その地方独特の食べ方、郷土料理とともに、毎年種をとって保存し、大切に育てられてきた野菜はどれも美しく、 そしておいしそうなのだ。

写真:掘りたてのしょうが
しょうがの茎を引っ張れば、簡単にすぽっと抜ける。茎の根元がとてもきれいなピンク色をしている。

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「もったいない」は農業のキーワード?

10月にはいると、もはや畑に種まきするものはない。あ、「ライ麦」というのがある。これはライ麦を食べるためのものではなく、越冬緑肥としてまくものだ。ライ麦は緑肥として使う作物の中で、最も寒さに強い。寒さに耐えて少しずつ育ち、冬から春先の弱い太陽の光を、緑の葉っぱや根っことして有機物にかえてくれる。太陽の光をムダなく肥料にかえてくれるのだ。それから根っこが土をフカフカしっとりにしてくれるし(団粒化といいます)、土中の微生物のエサになったりして生物性を豊かにしてくれる。また冬の強い北風で、表土が吹き飛ばされるのを防いでくれる。畑が裸になっているとかなりの量の土が飛ばされてしまうらしい。おまけにライ麦やエン麦はアレロパシーという作用が強く、次作の雑草をかなり抑えてくれるのだ。ほんとにいいことばかりだ。
つねづね「もったいない」、あるいは「けち」という言葉は、農業のキーワードだと思っている。自分で作った食べ物は大切にいただくようになる。「ご飯はひとつぶなしに食えよう」というばあちゃんのコトバをよく思い出す。また野菜くずや残さも堆肥となり、すべてまた土にかえってゆく。そしてこの「もったいない病」は、なぜか次第に進行してゆく。なるべくムダなエネルギーや、物や、ついでにお金も使わないようにと、農業を続けるほど、何だかより「けち」になってゆくようなのだ。とにかく、冬にまわりが全部土色の中で、うちの畑だけ元気に緑色をしているのを見る
と、得してる!というか気持ちよいのだ。
さて、このライ麦の種まきも終わると、本当にもう畑に種まきするものはない。春先から半年間、天気を気にしながらひっきりなしに何かの種まきをしているので、種まきがなくなるとだいぶほっとするし、少しさみしい気もする。頭の中にはもう来年の計画があれこれ浮かんでくる。

写真:にんじんの花
雨の中、にんじんの収穫をしていると、いろんな虫が雨やどりをしていた。赤トンボ、シジミチョウ、ハナムグリ、カマキリ、シャクトリムシ…どれも逃げようとしない。季節を間違えて咲いてしまったにんじんの花もきれいだ。

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秋の野菜

今、ブロッコリーが畑にたくさんできて(咲いて?)います。長い間収穫できるように、時期をずらして種まきしたのに、どういうわけか一気にできてしまったのです。 無農薬のブロッコリーは貴重なので、たくさんお召し上がりください。
ブロッコリーというのは、見てのとうり花のつぼみです。そのまま畑においておけば、黄色い花が咲きます。切り花は鮮度を保つのが大変なようですが、ブロッコリーも花なのでやはり大変です。 花芽の部分は変化しやすいのです。これから寒くなってくれば大丈夫なのですが、まだ暖かいうちは、ちゃんと届いているか心配です。 スーパーでアメリカ産のブロッコリーが安く売られていますが、どうやって鮮度を保っているのかいつも不思議に思います。
それから、ブロッコリーは「アブラナ科」の野菜です。アブラナ科の仲間はキャベツ、カブ、大根、コマツナ、チンゲンサイ、水菜、カリフラワーなどたくさんあります。 どれも虫に好まれる野菜ですが、とりわけキャベツ、ブロッコリー、白菜などは、青虫やヨトウ虫、コナガなどの大好物です。 箱詰めする前にブロッコリーの中の方や、キャベツの外葉をはがしながら、虫がいないか念入りにチェックしています。 秋はまだ虫が少なくてよいのですが、6月のものはすさまじく、穴だらけのキャベツにうんざりするほどです。 無農薬なので仕方がないとはいえ、もう少し何とか虫対策を考えなければなりません。私たちは馴れているので虫を素手でつまむことなど平気ですが、 届いた野菜の中に入っていたりすると、さぞかし不快な思いをされているに違いありません。それでも、うちの野菜を取りつづけていただいている皆さんには頭の下がる思いがします。
今、茎ブロッコリーというのをお届けしています。菜の花のような形をした茎の長いブロッコリーです。これは中国野菜のカイランという野菜とブロッコリーを高配して生まれたものだそうです。 形状から虫がまぎれ込みにくいのがよいところです。また普通のブロッコリーより甘みと歯ごたえがあります。いかがでしょうか。

写真:稲刈り
10月1日、家族総出で稲刈りをした。メカ好きの息子は、バインダーを運転できて得意顔(もちろんターンはできない)。 このあと、稲をはぜ棒にかけて乾燥させる。

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趣味の雑穀作り

いろんな雑穀や麦類を作るのは私の趣味かもしれません。なぜだか種々の穀物を作ることが面白いのです。 なおかつ、麦や雑穀など栽培してもちっともお金にはなりません。というより金銭的にはむしろマイナス。どんなものでも栽培する以上、 多少とも世話をしてあげなくてはならないのですが、そんなものを作っているヒマがあるなら、他の野菜の作付けを増やせばもっとお金になるはずです。 面白くてお金にはならない…こういうのは趣味ですよね?
しかし、いいわけも一応あります。野菜だけ作っていても土が良くならないのです。なぜか換金性の高いものほど、地力を消耗し、地力増進の効果が高い作物ほどお金にはなりません。 イネ科→マメ科→他の野菜というふうに畑が回っていけば理想です。なかなかそこまでの余裕もないですが、ムギ類の2作くらい後は、畑がよくなったなと実感できるのです。
さて、穀物は作るのはよいとしても、収穫、乾燥、脱穀、精製、製粉と食べるまでにいろいろ手間がかかります。専用の機械がないとできないことも多いのです。 今年大麦を作ってみようと思ったのも、宮田村の山浦製粉所という、小さな昔ながらの工場で精麦、押し麦加工してもらえると教えてもらったからです。 昔はどの村にもあったであろう、こういう小さな製粉所は今ではすっかり貴重なものになってしまいました。雑穀や大麦など、今では作る人がほとんどいないのですから、 当然といえば当然なのでしょう。でも、そんな小さな製粉所があって、それを利用する小さな農家がたくさんある、そんな風景のほうが私には豊なものに思えるのです。

写真:サツマイモ
何歳になっても、恥ずかしながらイモほりは楽しい。土からひき抜いたばかりのサツ マイモは、サツマイモ色!と言いたくなるような鮮やかな色をしている。

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秋の野菜

9月の始めはまだ夏ですが、9月の終わりごろはもうすっかり秋ですね。畑の野菜もちょうど夏から秋へと移り変わってゆく時期だ。 夏のあいだ、もいでももいでも次々に赤くなって、収穫が追いつかないほどだったトマト。 ペースが次第にゆっくりになる。いくら待っても赤くならない。どんどん遅くなり、最後には、とうとうもう赤くなれない青いままのトマトが残ってしまう。 青トマトのピクルスを少し作り、ビンに詰めれば、これで今年のトマトもおしまいということになる。たくさん食べました。
「秋ナスは嫁に食わすな」なんて言います。おいしいから食べさせないという意味と、体を冷やすので食べさせてはいけない、 とふたつの説があるらしいのですが、はたして秋ナスっておいしいんでしょうか。確かに朝晩涼しくなってくると、実がしまっておいしくなるような気もする。 けれどこれは、だんだんかたくなってしまうということでもある。やはり何でも出盛りの旬が最もおいしい気がします。 ただこれが最後、また来年までおしまいという時は、またふだんよりちょっとだけおいしく感じるような気もする。「終わり初物」という言葉もあるそうだ。
今、赤と黄色の小さいパプリカをお届けしています。これは植物的にはピーマンと同じ種類で、最初は普通のピーマンと同じように緑色をしている。 7月についた“実”がひと月以上かかって、やっと今ごろ赤や黄色に色づいてくる。いわばピーマンが熟したものだ。 甘酸っぱい独特の味は好みがあるかもしれませんが、これを食べると、ひと夏ぶん太陽の光がぎっしり詰まっているような気がする。 今の時期だけ取れる野菜の一つだ。
秋野菜の本番はもうしばらく先になりますが、最初は間引き菜やコマツナなど菜っぱ類ができてくる。ネギもボチボチお届けします。 秋の野菜は夏のものとは違い、ゆっくりと育ったほうがおいしくなる。ですから、これから寒くなるにつれてより甘く、おいしくなってゆきます。 それから秋といえば“おいも”だ。今年はイモ類は豊作のようだ。カボチャやサツマイモは、収穫したばかりはホクホクしているが甘みは少ない。 しばらく貯蔵していると、ぐっと甘くなってくる。さて、そろそろサツマイモも掘り初めてもよいし、ジャガイモもまだ3分の1しか収穫していない。 昭和40年代生まれの耕運機と一緒にしばらくはせっせとイモ堀の日々だ。

写真:ナガコガネグモ
秋になると田んぼや畑でよく出会う。先日(クモから見れば)巨大なコガネムシを捕まえるのを目撃。 糸でぐるぐる巻きにすると、さっそくかみついた。ガブッと音がした(ような気がした)。

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草と一緒に野菜を育てる

トマトとキュウリの畑は、春、苗を植えるのと同時にうね間(通路)に牧草(えん麦と赤クローバー)の種をまきつける。やがてトマトやキュウリが大きくなってくる。 牧草も伸びてくる。ついでにまいてはいない草まで芽を出し、スクスクと伸びてくる。しばらくしてから通路の草を草刈機で刈り倒す。刈った直後は芝生のようでなかなかきれいだ。 牧草と草はすぐまた伸びてくるので、定期的に刈り込みながらトマトやキュウリを収穫してゆく。こういうやり方を草生(そうせい)栽培といいます。
キュウリはアブラムシがつきやすく、またアブラムシに弱い。以前は木酢液をかけたり、大さわぎしていたのだか、草生をするようになってからアブラムシが出にくくなった。 たまに少しばかり出ても、なぜか増えてゆかない。そのうちいつのまにかきえてしまう。不思議だ。見ていると、はだかの土より草が生えている所の方が確かに虫やカエルが多い。 天敵も多いということでしょうか。また、キュウリだけ植えてあるより、生えている植物の種類が多い方が、畑の環境が安定するようだ。とはいえ、まめに草刈をしないとたちまちジャングルのようになってしまうのです。
そのトマト、キュウリの収穫もピークを過ぎ、お盆(旧盆)を過ぎると、急に寂しくなる。昼の日差しはまだまだ強く照りつける。けれど、朝夕は何だか妙に空気がすんでいるような気がしてくる。 雲の形も心なしか真夏とは違う。あるいは単に気温が1~2度下がったことを、むしろ体のほうが正確に感知するのだろうか。とにかく、何やら少し秋のけはいだ。
今、秋冬ものの種まき時期だ。ファッション業界ではないけれど、秋冬ものの仕込みは夏にやっておかなければならない。6月にキャベツ、7月にブロッコリー、8月に白菜、大根をまいて、 あとは今から9月下旬までホウレンソウや小松菜などの葉物の種まきだ。秋が深まり、寒くなってくると、野菜の生長は日に日にゆっくりになってくる。 今まいた小松菜は1ヶ月もしないで収穫になる。一番最後にまいたものは大きくなるのに、その倍近くかかってしまう。これをバッチリ計算して種まきしているはず…なのですが、なかなかスムーズにいかないことも多い。 一度あいだがあいてしまうと、待っても待っても大きくなってくれないのです。今年はうまくゆくとよいのですが…。
夏野菜もにぎやかでよいのですが、そろそろ間引き菜のおひたしでも食べたくなってきました。

写真:カマキリ
トマトのうね間の草生もついつい手が回らず、草ぼうぼうに。でもここは虫の天国だ。今朝は脱皮したばかりのカマキリと眼が合った。

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お隣のすごいおじいさん

毎年のことながら、夏ってこんなに暑かったっけ?と思ってしまう。畑の草取りなどしているとたちまち汗びっしょりだ。「上農は、草を見ずして草を取る」なんていいますが、草取りも適期にきちんとやりさえすれば何の問題もない。畑中きれいにして、ついでに土手草も刈ってやれば、さっぱりしていい気分だ。だが、どういうわけかなかなかこうはいかない。どこかでひとつつまずき、適期を逃がすと、みるみる畑は草だらけになる。本当にあっという間だ。こうなると何倍もの時間をかけて、畑中はいずりまわるはめになる。まあ、汗をかいて身体を動かせば健康にもよい、と言うことにしておきたいと思いますが…。
今日は隣の吉一さんが、ホークを使って耕運機の荷台に堆肥を積み込み、運んでゆきました。百姓ひとすじ、お年は確かもう90歳に近いはずだ。田んぼも作っていて、スーパーカブに乗って水の様子も見に行く。トラクターに乗って畑を耕しにゆく。梅の木に登って梅をもぐ。あれやこれやいつも体を動かしている。夏バテしないんでしょうか。ちょうどうちの家の窓から見える彼の自家用の畑は、いろんなものが少しずつきれいに植えられている。トウモロコシが何回も食べられるよう、数本ずつ階段状に植わっている。漬けウリも植えてあるようだが、ご自分で奈良漬けを作るのだろうか。人間先のことはわからないが、吉一さんを見ていると日々体を動かすことって、どんな保険に入るより確かなことに思えてしまいます。

写真:ヤマトイモ
今、生け垣のようにしげっています。収穫はこのつるが枯れてから。小さめでも形の良いイモがとれてほしいのですが、掘ってみないとわかりません

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